生きるということは『実』から『虚』への旅、そこには無駄なんて一切ないから安心せよ

 

人間が生から死へ、若さから老いへ進むように、人間の精神や心の旅は『実』から『虚』へ、有形から無形へ進むものです。

それは必ず有形を見ることから始まり、やがて色々な欲望を満たしながら、『虚なるもの・無なるもの』を見る力が養われていくのであります。

人間には最初から『無の世界』を見る能力は与えられておらず、生きている間に自分自身で身につけなければならないのです。(原典)

 

その入り口、きっかけが『天中殺の欠け』であるというわけです。

欠けるということはそこがその人の弱点となり、本人はないものだから気になって仕方がない

それを得ようとそこが欲望となる。

それはつまり神が伝えようとするものを知るための入り口なのです。

その欲望が原動力となって進む中、現実世界の喜びを得たり得なかったり。

精神世界の幸せを得たり得なかったり。

 

あなたにはどこの何が欠けている?

 

ってじゃぁ色々やっても無駄ってことにもなりかねないやん!?

という考えが頭を擡(もた)げることもあるでしょう。

 

この広大な宇宙の中で生きていると、どんな道を進もうと無駄にはならないのです。

もし自分の運命を無駄な努力だったと感じる人がいれば、それは有形を見る力しかない人だということ。真の無形・真の虚を見ることができない人であります。

有形と無形両方を見極める力が養われた時、初めて無駄がないということを知り得るのです。

 

本当にね、無駄ってありませんよ。(私に両方の審美眼があると言いたいわけでもありませんよ。)

無駄だ~

って簡単に言っちゃう人は『それはカネにならない』みたいな超絶スーパー短視眼でしかものを考えられてないってことです。

 

無駄については私も以前同じようなことを書いています。

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なので要領よくとか、無駄を省いてとか、いわゆる美味しいとこ取り人生みたいなのを目指さなくても大丈夫。

超絶スーパー短視眼を絶賛する風潮に乗らなくても大丈夫。

一歩一歩自分の心と相談して、安心して進んで行こう。それでOK。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

原典読むのが楽しくて堪らない私(後ろの爺さんは誰だ?)

ジョルジュ・ヴィベール「道徳図書委員会」 (1866)

 

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この記事を書いた人

算命学による命式分析を専門とする鑑定者で、人生戦略の相談を行っています。
人生約半分以上ドイツ在住の全柱異常干支な関西人。1971年製。
DNAの2%はフィンランド系、1%はメキシコやアンデス山脈あたりの由来。
算命学をメインにドイツ生活やクラシック音楽、絵画の話も交えつつ【 三柱異常干支の見る変わった世界 】を綴ります。
機能不全家庭のサバイバーで占い嫌いの算命学使い。
元は世界を飛び回るプロのクラシックギタリスト、EU内国際線キャビンアテンダント、裁判所の通訳など典型的天報星人。

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